文化財・史跡

石積古墳(町指定史跡)

大きなふた石や石室を構成していた石がたくさんあり、土器片などが出土しています。

石積古墳

旧道面家住宅(国の重文指定)

元禄年代に建てられた農家の住宅で、当時の庶民の住居の実態をそのまま残しています。

同面家住宅春の同面家住宅

愛宕神社

923年、修験者の順円が祠を創建し、祭神に軻遇突智(かぐつち)神・伊邪那岐(いざなぎ)神を祀り、愛宕大権現と称したことに始まります。
しかし社殿が荒廃したため1428年、津和野城主吉見弘信が現在地に再建。
さらに1470年、吉見頼興が社領50石を寄進するなどして栄えました。
そして亀井藩主時代になると、石鳥居の建立や社殿が建て替えられるなど厚く信仰されて現在に至っています。

この神社の鬱蒼(うっそう)とした境内には、樹齢千年といわれる大杉をはじめ、『ケンポ梨』『大トチ』『大カツラ』などの大樹が林立し、なかでも、『ケンポ梨』と『大トチ』は島根県名樹百選に選ばれています。
愛宕神社は最近まで、火難避け(かなんよけ)、虫除、五穀豊穣を祈って参詣する人が多く、害虫の多い年には神輿(みこし)が各地を回っていました。また、虫祈祷には砂や水を供えて祈祷(きとう)してもらい、持ち帰って田にまいたと言われています。

  • けんぽなし・・・島根県名樹百選。形は全く異なるが、味は梨の味。
  • 社叢(しゃそう)・・・柿木村指定文化財(天然記念物)

愛宕神社千年杉

亀田の水穴(町指定史跡)

亀田の水穴は、水田に必要な水を引き、土地を潤すためにくり貫かれた灌漑(かんがい)用の用水トンネルです。

亀田地域はもともと水利が悪く、かつては山を迂回し約2キロ上流から水を引いていました。しかし途中の漏水がひどく水を充分に供給することができません。江戸時代の初め、この地に来た鉱山師の羽生太郎左衛門が、農民たちの苦労を聞き、山をくり貫いて亀ヶ谷川から直線的に水を引くことを思い立ちます。資金を工面するため津和野の商人青江安左衛門に話したところ「それは結構なこと」とすぐに貸してくれ、太郎左衛門は岩をくり貫き始めました。工事は山の両側で進められ、1645年にようやく貫通。以後、亀田地区では水不足に悩むことなく開拓も進み、現在もなお貴重な水源として使われています。

地域の人びとは羽生、青江両方の恩を忘れまいと二人の死後、墓と祠(ほこら)を建て、300数年を経った今もなお、水穴が完成した3月18日(旧暦時代は2月18日)になると全戸で祠の祭りを続けています。
なお、柿木村には他にも滝穴の切抜き(大野原地区)など数ヶ所の用水路トンネルがありますが、これは亀田の水穴の成功を見て作られたと考えられています。

吉賀町指定文化財(史跡)であり、水穴の長さはおよそ95メートル、高低差は約10メートルあり、水穴の取り入れ口は約50センチ四方で取り出し口は約80センチ四方です。水穴は音を頼りに両方から掘られたようで、結合部は1.5メートルの落差があり、直角に曲がっています。

亀田の水穴

しだれ桜(町指定天然記念物)

みろく公園にある樹齢300年以上のしだれ桜。大きさ、姿や花の美しさで近隣に聞こえた名木です。

しだれ桜

お問い合わせ先

企画課   電話番号 0856-77-1437

ページの先頭へ