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60歳を前にIターン。吉﨑さんご夫妻の場合

吉崎さんご夫妻

(吉﨑さんご夫妻)

プロフィール

彰一さん64歳、清子さん64歳。09(H21)年大阪府吹田市より移住。
自給自足の暮らしをしたいと、5,6年前からあちこちの土地を見て回り、吉賀町と出会った。早期退職をして、09年5月吉賀町での暮らしをスタート。1人の人との出会いが、次の出会いへとつながっていく吉賀町で日々の暮らしを満喫している。

よしか暮らしまでのステップ

2003年移住の検討を始める。(52歳の時に転籍。定年前の10年間はセカンドライフへの助走期間と考えた。)
2007年候補地をまわる(長野県、岡山県、兵庫県など)
2007年お隣津和野町の親戚から吉賀町で空き家バンクを行っていることを聞き、吉賀町を知る。
2008年9月吉賀町を訪れる。(この際六日市の家を仮押さえする。)
(この間家の管理の為、何度か吉賀町に足を運ぶ。)
2009年5月吉賀町へ移住。(六日市地区の空き家を借りて住む。)
(3年間町の移住支援員に3年間従事する。)
2010年8月六日市から現在の広石(六日市地区)へ転居。(六日市の家を売却すると聞き、転居先を探すが最終的に不動産会社にお世話になり決定。)

よしか暮らしの理由

(彰一さん)
移住する5、6年前から自給自足の暮らしをしたいと考え始めました。移住先は、山が好きなこと、下関にいる母が独居で高齢だったことから、何かあった時にすぐ行ける中国地方、そして水がきれいなことろという条件で探していました。私の生まれが津和野町(吉賀町の隣町)で、そこにいる親戚に相談したところ吉賀町役場を紹介していただいて。移住窓口となる企画課の方がとても親身に対応して下さったので、トントンと移住の話が決まりました。地域の受入れがある、というのは安心感がありますね。「人とのご縁だなぁ」と思います。
(清子さん)
私は場所はどこでも良かったんです。でも吉賀町に来てみたら、母が益田市(吉賀町から車で1時間の市)の生まれで、「柿木」「六日市」という地名も以前から耳にしていましたし、来てみたら叔母やいとことも会う機会が増えましたた。ずっと転勤族だったので、知らない土地に引っ越すことに慣れているのもあったかもしれませんが、田舎に引っ越すことには不安や心配はなかったですね。
何より古民家レストラン「草の庭」さんと出会ったことが、私たちの暮らしの色々なことにつながっているように思います。最初に町に訪問した際に草の庭さんでお食事をして色々お話をした時に、私たちの想いと通じるものがあったので、「1月の一番寒い時期に来たい」と宿泊の予約をすることにしました。3回は通いましたね。この時に思いを伝えたりなどもしていたから、とてもいい形で吉賀町での暮らしがスタートできたように思います。
 

よしかに住んでみて

■地域づきあい

こちらに移り住んでから間もなく、当時住んでいた家を売却したいという話が持ち上がり、新しい家を探しました。最終的に町内の六日市不動産に駆け込んだところ、現在の家を紹介いただきました。ちょうど町内を巡って“この家いいね”なんて言っていたお家だったこともあり、即決。大きな家は嫌だったので、現在も快適に過ごしています。

よしざきさんの現在のお宅

(現在のお宅。小さなビニルハウスや新しく倉庫も設置した。)

(彰一さん)
前の家を離れる際、送別会もしていただきました。広石に移ってからも近所の方達がいい人ばかりで有難いです。会社組織の縦社会から横社会へ、地域の横の繋がりがあることを楽しんでいます。住む地区・組によって地域付き合いが全く違い、この地区では大岡神社の秋祭り(神楽)に向けて、70世帯の地区の人達が協力して開催されています。このお祭り、もち米や野菜を持ち寄り地域の物で作った料理を食べ放題・飲み放題なんです。素晴らしいお祭りなので、ぜひ観に来て欲しいと思います。
(清子さん)
おかげ様で朝6:30からのラジオ体操は習慣となりました。サロン、神楽の準備、芋煮会など地域の方と楽しく過ごさせて頂いています。どちらかと言うと本好きなので、本を通してご近所の方と親しくなり、とても良い時間を過ごしています。

■楽しみ

(彰一さん)
田んぼ(1反3畝)をお借りして今年6回目の田植えとなります。この田んぼが一年の大きな節目ですね。私は退職したのでサンデー毎日なんですよ。そこで農繁期農閑期と大きなリズムのベースになり、メリハリがあることが何より有難いです。
田んぼは草の庭さんからご紹介いただいたのですが、地域の方からの紹介ということでスムーズにお借りすることができました。田んぼは現在住んでいる地区の方が師匠として教えてくださいます。師匠は慣行農業をされている方なのですが、“慣行でも有機でも自然農でも好きにやりなさい!教えちゃるけえ”と言ってくださり、今でも稲刈り等の時にはお世話になったりと付き合いが続いています。
(清子さん)
春の野菜、庭に茶の木があるので、数回分ですが自家製のお茶、梅干し、梅酒、梅ジュース、干し柿、柿酢、みそ作り、注連縄作り等作る楽しさがあります。羊の毛刈り〜羊毛ワークショップ、かまど作りなどとにかく楽しい!3月後半〜11月前半は田・畑・庭、11月後半〜3月後半からはゆったり時間。旅など好きなことに多くの時間が取れています。
 

 

つけもの 
(清子さんが作る保存食。漬物(左)、柿酢(右))

■暮らし全般

(清子さん)
プールと図書館がある所ならどこでも住める!と思っていましたが、田舎にそんなところはないだろうと思っていたのに、すぐに行けるところにプールも温泉も図書館も充実していて、来てびっくりしました。自宅のお風呂はコンクリート張りで寒いので入ったことがなく、温泉“ゆらら”の年間定期券を購入し毎日入っています。
食費は以前より減りました。野菜がメインの生活になったのですが、野菜も自家栽培したり、頂くことも多く、お米は自給できています。以前よりかかるようになったのは、車の維持費。吹田市ではこの10年間、車無しの生活でしたが、ここでは車無しの生活は不便です。
まず10年は頑張ってみたいと思っていましたが、次々と楽しい出会いがあり、頑張るというより楽しんでいるうちにこの5月で6年が経ちます!冬は寒くて家の中で氷が張ったりして、「冬は寒いですよ」「大変」と言いつつも、実は半分面白がっています。
自分たちで育てたご飯、庭でできた野菜、ご近所でいただく野菜、買うとしても地域でとれた野菜…すごく贅沢な食生活だと思う。美味しい!
(彰一さん)
食べ物がとにかく美味しい!贅沢な暮らしをしているなあと思います。都会の人には味わえない幸せを感じますね。

(手刈りで行う自然農の田んぼ。師匠・ご友人と一緒に)

移住後の感想

(清子さん)
色々な方とのつながりができて楽しんでいるので、何を見ても、何をしても「吉賀町に来てよかったねー!」と夫婦でよく言っています。住まいが町なかにあるので、暮らしの必要な機能はすべて近くにあるので不便なことは特にないです。どこでも住めば都。今は、吉賀町に帰ってくると「あ〜、帰ってきた〜!」と思うようになりました。自分を高める学習の機会を持つのに、たまに都会に出るのは良いかもと思っています。
大阪での生活で参加していた趣味のサークルやボランティアでの友人・知人と離れることは寂しいなぁと思っていましたが、そうした友人たちとは、はがきや絵手紙を月に10通くらいやり取りしているので、離れた感じもしないですね。はがきのつながりはすごい!ですよ。

絵手紙1絵手紙2
(清子さんの趣味の絵手紙。旅先で目にとまったものを描く。)

アドバイス・一言メッセージ

とにかく住んで決めてほしい。住んでみないと、良いも悪いもわからないですから。吉賀町にはお試し住宅も、農家民泊もあるし、とにかく動かないと始まらない「とにかく"来てみんさい!"」じゃないけれど、「きんさい、みんさい(来てみて、見てみて)」それにつきる。「どこかいいとこ」と探しているなら、来て、1週間でも2週間でもいてみて、もし自分が求めているものと違ったら引っ越せばいい。考え過ぎずに「お試し」と思って来てみるのが一番いいと思います。
(彰一さん)
初心を忘れず自分を貫いて成果を出す。農業だったら有機や無農薬かどうかだなんてことは言わないで。自分の背中を示すことが大切だと思います。
(清子さん)
すぐに自分の希望する家が見つかるのは難しい。お試しなどにまず住んで、自分を信用、認めてもらえると借家の話等が出てくると思うし、実践の中でどんな家・地域がいいのかはっきりしてくると思います。
(彰一さん)
色々思い描く理想があるかとは思いますが、暮らしてみるとそれがどんどん変わります。そんなに全部の事を一気には出来ないから、やりたいことがどんどん絞られてきて鮮明化してきますよ。一歩一歩です。