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協力隊から森を活かす仕事へ。小林健吾さんの場合

小林さん

(伐採中の小林さん)

プロフィール、よしか暮らしまでのステップ

小林健吾さん(37歳(インタビュー時))。埼玉県さいたま市(旧浦和市)出身。会社を辞め、今後について考えていたときに吉賀町が地域おこし協力隊を募集していることを知り応募、吉賀町へ。山の景色に感動し、山に興味を持つ。協力隊の3年任期終了後は、「木の駅プロジェクト」の事務局として山に関わる仕事をしている。

■移住までのステップ
2009年(平成21年)9月吉賀町の「地域おこし協力隊」の募集を知り、応募。東京にて面接。
2009年11月仕事決定後、吉賀町を訪問。蔵木地区のお試し住宅に入居。
2010年(平成22年)秋頃、家探し。
2011年2月(平成23年)地域の人から椛谷地区の空き家を紹介される。
2011年6月空き家に引っ越し。
2012年10月(平成24年)地域おこし協力隊の3年任期が終了。
2012年4月「木の駅プロジェクト」スタート。

地域おこし協力隊の応募から始まった

東京で勤めていた会社を辞め、今後の生活について考えていたときに、吉賀町が「地域おこし協力隊」を募集している情報がを知って、応募しました。仕事が決まったから来たという感じですね。島根は出雲大社などの東部に行ったことはありましたが、最初は吉賀町の位置はよく分かってなかったですね(笑)。
「協力隊」の担当は役場・企画課でしたが、事務所は役場外に設けてもらって、もう1人の協力隊の方と一緒に活動を始めました。他地域では協力隊の仕事内容や目的が決まっていましたが、吉賀町は特にコレとは決まっていませんでした。2009年(平成21年)はちょうど全国的に「地域おこし協力隊」が始まったときで、私は一期生の1人でしたが、各行政も手探りの中で導入した時期だと言えます。
役場の方から「自由に考えてやっていい。あなたたちの目で課題を見つけ、解決し、終了後には起業して欲しい」と言われたので、まずは地域を知ることからスタートしました。町内イベントに顔を出したり、町外・県外に出向いて農産物販売の売り子をしたり色々しました。私が移住した時期はまだ紅葉が残っていて、山の風景に感動しました。それで私は山に興味を持ちました。もう1人は教育に興味を持っていたので、だんだんそれぞれ興味のある分野で活動を行うようになりました。
その活動を通じて、NPO法人エコビレッジかきのきむら(以下、エコビ)に出会えたり、山の学校に参画できたりといろいろな縁がありました。その方々とは今でも付き合いがあります。


 協力隊発表会時の写真
地域おこし協力隊時の写真(右が小林さん)

 

「木の駅プロジェクト」で地域と山をつなげる

協力隊の3年任期終了後は「木の駅プロジェクト」の事務局をしています。事務所は、エコビ内です。このプロジェクトを立ち上げたのは、私が山に行くきっかけがほしかったのと、もっと山で感動をしたいと思ったからです。協力隊が終わる前の2011年(平成23年)にエコビや役場・産業課にその話をしたところ、「じゃあいつやる?」となり、2012年(平成24年)の4月からスタートしました。メンバーは私以外にも、役場・産業課、エコビ、地域の方々がおられます。
「木の駅プロジェクト」とは、山の木を切って木の駅に出荷すると、地域通貨券(丸太券)がもらえ、それを町内の協力商店で使用してもらうことで、地域経済の活性化を図るものです。そもそも山の手入れには人手とお金がかかるし、木を切って売っても規格外の木材はお金にならない。だから人が山に行かなくなり、人から切り離されてしまっている。人が山に入るきっかけとして、木の駅を利用してほしいなと思います。
休日も町内の山に行って1日過ごすこともあります。また2011年(平成23年)から家の近くの田んぼを借りているので、時期によっては農業もしますね。基本的には家にいないことが多いです。研修やイベント等で町外に行くことはありますが、プライベートで町外・県外に出かけることは少ないですね。


木の駅プロジェクト集荷場所 まるたけん

(木の駅プロジェクトの出荷場の1つ(左)、協力商店で使用可能な丸太券(右))

 

山を「営みの場」に

吉賀町の山を仕事の場、生活の場へ戻したいですね。私は「営みの場」と言っています。何かあったときに山に行けば何とかなるとみんなが思えるように。以前はマキ風呂の家も多かったし、しいたけは山の中で作ることが当たり前だったわけです。でも今はそれがなくなってきています。山に人が行かなくなって、行けなくなって、得体の知れないものになっている。山がよく分からないから入るのが怖くなる。憩いの場として続いてきたときは山に関する情報や技術の伝承があったんですよね。
だから常日頃、山で人が何かしている状態にして、それを子どもたちに見せる。今は山で遊んだことがある子どもたちは5割ぐらいしかいない。山に遊びに行かないんですよね。それは大人が山に行かないから。
もっといろんな人に山に入ってもらって、そして吉賀町に木の駅があるのが当たり前になったらいいですね。山を知ってもらう取り組みとしては、小中学校の環境教育に呼ばれるので、そこで授業をしたりしています。今は大人向けがないので、今後はそれも行っていきたいです。

研修会の様子 山で作業をする小林さん

(木の駅プロジェクト研修会の様子(左)、山で作業をする小林さん(右))

アドバイス・一言メッセージ

ご縁がたくさんあるので、それを大切にしてほしいです。私の場合は町内の出会いは福原圧史さんと、町外の出会いは丹羽健司さんと、戦友として今泉欣也さん(当時の協力隊の相方)と繋がって出会い、ご縁が増えました。
移住を検討する時には、自分自身が「どういう生活がしたいのか」を考えた方がいいと思います。そしてそのための準備をすること。そして移住後に一度に多くのことをしようと自分の中でハードルを上げないこと。今年はここまで、来年はここまでと少しずつ行っていけばいいと思います。理想を高く持ったら自分自身が苦しくなると思うので。
あとは都会と田舎の生活の違いを楽しむこと。田舎だと近所付き合いが濃いですが、適度な距離で人付き合いをし、無理をしないことが大切だと思います。もちろん相手に合わせるところは合わせる必要はあります。例えば地区の草刈りやイベントなどには参加をするとかね。もし欠席をしてもきちんと理由を言えばみんな分かってくれます。まずはきちんと挨拶をしていれば大丈夫だと思いますよ。