売るためじゃない、自分が健康に生きるための農業をしよう、とはじめた柿木村の有機農業には嘘はなかった
『柿木村有機農業の原点
柿木村役場『企画課 福原圧史さん』に聞いた
取材・記事/水津陽子
 
 
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| 自分らしく生きる| きっかけ | 安全な食 | 暮らし提案
『スタートライン』
「有機農業運動は、『自給運動』ということですね。安全性とか、健康とかということもありますが、ライフスタイルとして、人間は本来自給して生きるべきだと思うんです。

(衣食住)の自給という中にはいろんな『共生』があります。『自然との共生』もあるし、『人との共生』もある。『隣近所との関わり』もあって、それらはすべて自給的要素として考えています。

そういうことが分かったら自覚できたら、村で暮らすことが素晴らしいことだ、ということが分かります」と福原さん(左写真)。

最近、スローライフ、スローフードという言葉がトレンドとなっている。しかし、柿木村はもう何十年、それを実践してきた。福原さんは、この村の有機農業を二十年以上見てきたし、また自身それを実践されてきた。高度成長期に、華やかな都市の生活に憧れて、若い人が農村を出ていった。最近、『本当の豊かさ』が求められるようになり、お金が全てではない、『自分らしく生きる』ということが大切にされはじめているが、私たちが忘れてしまっている大切なことを、福原さんのお話の中から見つけることができた。柿木村に来て、たくさんのスローライフの達人に出合った。私はその方たちを〈柿木人〉と名付けたのだが、その達人たちを見ると、「スローライフがゆっくり、のんびりではなく、自分のペースで、自分らしく生きることだ」と分かる。都市で生きる人には、この「自分らしく」が見つけられないで悩む人も多いが、そのヒント、答えがもしかしたら、この村にあるかもしれない。 


『自分らしく生きること、それは原点に戻ることだった
「きっかけは、生きるための拠点として村に住むことを選択したわけですから、それではどういう暮らしを追及すれば、都市とは違う楽しさや豊かさが実現できるのかと考えてからです。

町に住むという選択もあるわけですが、それはどういう根拠なのか、考え方や見方があり、お金が儲かるからとか、華やかさのような、何か魅力があるから町に行くわけでしょう。

行政の職員ですから、村が豊かで楽しい村になるにはどうすればいいのか、みんなに訴えるには何をキーワードにすればいいのか、と考えたとき、その一つが『自給』だと思いました。それは、営々と暮らしてきた村の歴史ですし、そのことを大事にすることが村で暮らすということだと思いました」


『きっかけはオイルショック
農家と有機農業の対話をはじめた』

「最初、役場で有機農業の提案をした時は、ほとんど反応はありませんでした。反応してくれたのは農家だけでした。実践し、身をもって分かっている人が農家です」

その農家との対話から、柿木村の有機農業ははじまった。

「1975年前後、有機農業について聞いてもらえるようになったのは、オイルショックがきっかけです。高度成長期、町に行けば豊かに暮らせるということで、教育もすべてそちらを向いていた。でも、オイルショックで、ああ、やっぱりそうかと思いました」

今の若い世代にはピンとこないかもしれないが、オイルショックで、石油が入ってこなくなったとき、都市がパニックになり、海外に資源を頼っている国の危うさが露呈した。

その危機から、しばらくは省エネ運動も行われたが、80年代ジャパン・アズ・ナンバーワンの飛ぶ鳥を落とす好景気の時代になり、その教訓もいつか忘れられた。

そして、バブルがはじけて、そのつけでもある構造不況で今もなお、わが国の経済は苦しんでいる。それもオイルショックという一時的な打撃ではなく、じわじわと私たちの社会に影を落としている。その時、福原さんは、都市生活のもさろを見た。そこから、村で暮らすためには何が必要かを考え始めた。



『自分で食べるものに農家は農薬は使わない
安全な食の提供、への思い』

  「でも、最初は若い人達から反発がありました。戦後の30年代はそういう暮らしをしてきたんですが、農業基本法ができて、国の農政の方向が決まってから、換金できる作物を集中的に作らせた。食べ物を商品にするわけです」

柿木村の有機農業の原点は『自給自足』。よって、少量多品目、自分が食べるものを作るのが基本の農業。もちろん、自分の食べるものに、農薬も化学肥料も使わない。市場価値を考えて、虫食いを気にすることはない。

市場に出すのは、自分の家では食べきらない余剰農産物。それを安全なものを食べたいという消費者に相対で提供してきた。

「食べものの商品化。つまり、それは規格化して、如何に換金するかということです。そうなると、この村には商品化できるものがないんですよ。生きるための食べものは、沢山あるんです。生きていくために必要な食べものは沢山ありますが、商品化できる農産物はない。商品化するという視点では、村の暮らしを放棄することになるんです」

都市には、環境や食の安全に、非常に敏感な消費者が多い。しかし、この本質の問題、食の原点をこれほどシンプルに聞くことはまずないのではないか。福原さんのお話はたぶん、子どもでも分かる単純な話だ。

その子どもでも分かることを私たち消費者は今知らない、知りえない場所にいる。

雪印以来、食の安全性が大きな問題となった。なくならない偽装事件。分からない食品表示。次々起こるコイヘルペスや鶏インフルエンザの食の問題。何が信頼でき、何が信頼できないのか、その答えをどこで見つければいいのだろう。



『遠くに運ぶことで、環境も悪化する
村の考え方や暮らし方を発信していく大切さ』

「(柿木村の有機農業は)限りなく我が家で必要な食べものを生産し、その食べものの余剰を消費者に供給していく。そうすると、自分や村を中心にものが見えてくる。それが大事なんです」

東京の情報をもらうばかりではなく、(村や農家が)自分達の考え方や暮らし方の情報を発信していく、そこがポイントだと福原さんはいう。

食べ物、生鮮食料品を流通に載せて遠くへ運ぶことについては、その間に新鮮さをなくす、日持ちの問題もありますが、環境問題が言われている現在、燃料消費を押さえるためにも、遠くに運ぶよりは、できるだけ身近なところに供給する。地産地消に近づけていくことが、省エネ対策にもなる。

「隣のおばさんのところでもいいわけです。もともとそのような物々交換をしていたわけですから」

国産は高いという話もあるが、石油燃料も無限でない。もうあと数十年で枯渇するといわれている資源がなくなったとき、安い海外の農産物が入ってこなくなったとき、今のわが国の食の自給率でどこまで食糧の安定供給は可能なのだろうか。

農業の担い手の高齢化と後継者不足は深刻だ。食の流通の仕組みも生産者だけではなく、消費者も一緒になって考えていく時期に来ているような気がする。


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