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村づくりを見すえて。農家出資の有機農業組合代表・板垣さん

理事長板垣さん

食と農かきのきむら企業組合
理事長板垣浩二さん

プロフィール

食と農かきのきむら企業組合理事長。柿木村わさび生産者組合長。柿木村有機農業研究会副会長。柿木村出身。元柿木村農協職員。40歳の頃農業を志し有機農家に転身。現在水菜を中心に水稲、畜産(肉牛)等を組み合わせた複合的農業を行っている。2010年(平成22年)有機野菜の生協出荷を行う“かきのきむら”グループを設立する等、柿木村の農業を担っている。

組合設立までの背景

合併前の柿木村は、高度成長に伴い過疎化に直面していました。1973年(昭和48年)の第1次オイルショックを契機に大規模農業を進める町、自給運動を進める生協、両方へ視察に行きました。結果、村民が選んだ道は、”自給を優先した食べものづくりこそ山村の豊かさ“という考え方。それから椎茸・ワサビ・栗などの特産振興に加え、有機農業による自給運動が始まりました。
1980年(昭和55年)10月に岩国市の自給農産物を求める消費者グループと出会い、その交流をきっかけに「柿木村有機農業研究会」を発足。有機農業の啓発と有機農産物の流通をはじめました。1991年(平成3年)に村で策定した「柿木村総合振興計画」では、調査を島根大学に依頼。結果、有機農業研究会の「健康な暮らしと環境を守る」ための活動が21世紀の村のテーマとして認められ、「健康と有機農業の里づくり」が柿木村の方針として位置付けられました。

それまでは生産から流通まで柿木村有機農業研究会で担ってきましたが、村の振興計画の中には有機農産物の流通組織が重要であると示してありました。そこで、柿木農協と協議を重ねましたが、小さな農協組織では難しいということに。その結果、実施主体として立ち上がったのが現在の第三セクター「エポックかきのきむら」です。

その後、農協の合併により合併農協から有機農産物の生産・流通を任せてほしいという要請があった為、エポックかきのきむらは菌床椎茸の生産に移行。有機農産物の生産・流通は農協が担うことになり、柿木村に有機農産物流通センターを設置しました。しかし、農協はさらに西いわみ農協へと経営の合理化がすすめられ、現状では有機農業担当職員もいなくなり、更には島根県で1つの農協になってしまう。これでは営農や生活指導、流通について今後に期待することは難しいという判断をし、1年をかけて生産組織の再編について有機農業関係者と協議。2014年(平成26年)9月に「食と農・かきのきむら」企業組合を設立しました。

組合の方向性

柿木村では35年来有機農業に取り組んできた実績があり、その成果として全国に柿木村の名前を広めることができました。柿木村の有機農業は単なる無農薬・無化学肥料という農業技術だけではなく、自然の摂理を生かし、作物の生きる力を引き出しながら健康な食べ物を生産し、風土に根ざした生活文化をつくりだすという農業本来の在り方を再建しようという営みなんです。農業だけの理論ではなく、環境、食、暮らしを大切にしながら所得確保も同時に実現しようとするものですね。
吉賀町は、2005年(平成17年)10月1日に柿木村と六日市町が合併して誕生しました。新しい町は過疎化、少子高齢化が同時進行し、農地や林地、集落の維持が非常に困難になってきています。この町のように狭く傾斜した耕地を持つ山間地では、経営規模を拡大して競争力を持たせることは難しいんです。それよりも農業以外の仕事を含めた兼業型を基本として、規模の拡大を求めるのではなく、地域資源や集落が生み出す多様な資源循環の輪と多様な暮らしの輪を地域で両立させ、小規模・分散的な仕事と中国山地の豊かさと持続性を追求しなければいけません。

組合の使命

中国山地での有機農業は特殊な農業ではないんです。元々山の中を切り開いた農地では、原型とも言える農業なんですよ。太陽の光や土、水などの自然の恵から植物が育ち、それを糧に動物が育ち、人類はそれらを生きる糧としていただいてきたという長い農業の歴史。そこに根ざしているのが有機農業だと考えています。
私たちは消費者と共に、生産者の営農と生活を守りながら本来あるべき「農業」と「食べ方」「暮らし方」を追求しています。持続可能な安定した暮らしを未来の子供たちにバトンタッチしなければならないという想いから、農家の営農と生活を守るために企業組合を設立しました。
現在、食と農かきのきむら企業組合は吉賀町内50人の組合員で組織しています。生産者米価の大暴落や人・農地プランによる更なる農地の集積、農協の合併や農協改革、TPP問題など集落崩壊や山村農業の衰退要因が山積していますが、新たな組織を中心に農地や集落を守り町内の営農や生活を支えられる組織に発展させなければならないと思っています。

伝えたいこと

高度成長期以降、町村にもサラリーマンが増えてきました。減反政策、農林産物の輸入自由化、地域農政の推進による農地の集積と農村の工業化など、効率の悪い小規模、自給、兼業などの零細農家を淘汰して、農地を集積し、比較的規模の大きな農家を育成しながら経営合理化を図る政策を進めてきた結果が現状の農業・農村の惨状です。それでも山村の殆どの農家は「兼業化」し、サラリーマンになっても土地を手放さず、村からも離れずに生きてきました。農的暮らしは「兼業」を軽視するどころか、積極的に農的な営みをしながら現金も得る、という考えが満ち溢れています。米価の暴落やTPP交渉が成立すれば、同じ家族経営でも規模の大きい単作農家ほど大打撃を受けることは必至です。地域資源を生かし自然や人と共生しながら、家族の食を確保し、兄弟姉妹や子供たちの帰る場所を維持しつつ、楽しく心豊かに暮らすことこそが私たちが目指す有機的な農業なのです。