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六日市学園生徒から学園事務に。永見さんの場合

永見さん

(六日市学園に勤める永見さん)

プロフィール、よしか暮らしまでのステップ

広島県福山市出身。福祉政治学の研究を経て、2009年吉賀町六日市学園に入学。離職者訓練制度を使い、介護福祉士に。その後山口県の福祉施設に就職するも、六日市学園の繋がりで当時福祉に力を入れていた会社に入社。その関係で2013年3月より現職に。六日市学園の学生募集や広報等事務全般に従事している。

よしか暮らしの理由

こちらに来たのは移住したというよりもまた戻ってきたという感覚ですね。学生として来た時は六日市学園(以下学園)に入っていて、冬がすごく寒かったのを覚えています。
私は北海道に住んでいた時期もあったのですが、吉賀町は北海道よりも寒かった!北海道でも見なかったダイヤモンドダストを吉賀町で見たことは未だに忘れられません。その当時は六日市学園の学生募集説明会がすごく魅力的で、町づくりとして福祉を捉えている点が良かった。皆さん本気で、その勢いにつられて入試のあった翌日に入学していました。
最初は自転車で生活をしていたんですが、車は必須。原付、中型の免許を取ってバイクで移動するようになり、バイクの乗りやすさを感じました。吉賀町はアウトドアバイク天国ですね。林道でも色んなところに行ける。
一旦就職をして東京で勤めていたんですが、朝晩2時間満員電車、終電の通勤が地獄のようだった。そこで吉賀町で働く話があり、ふたつ返事で行きますと。それで現在に至っています。

学園からの風景

(学園の教室から田園と山の春夏秋冬を感じられる)

 

よしかに住んでみて

現在は六日市学園の事務全般、学生募集や広報などをしています。介護のいいところは頭の中でなく実践しながら工夫していけること。自分は研究をしていたのですが、その研究を現場で実感しながら突き詰めていける。そんなところにやりがいを感じています。
吉賀町で学ぶ、暮らすことは相当な覚悟が要ります。でもその分みなさん意識が高いんです。だから今後に繋がる人脈ができる。僕も学園の同期とは未だに繋がっていて、年に一回は吉賀町で集まるんです。東京から福岡から、色んなところから吉賀町でまた再開し情報交換をする。この繋がりはこの学園ならではですね。
学校や学生をもっと地域と結びつけたいと試行錯誤していて、今年は学生と一緒に町のかのあし駅伝にも出場しました。地区の運動会にも出たりと学生と地域の交流の機会は多いですね。卒業後も未だに学園の周りの農家さんの稲刈りを手伝いに戻ってくる学生もいたくさんますよ。卒業生もほとんどが戻りたいと言っています。
家は一軒家を借り、学生とシェアしています。吉賀町は広い家がほとんどだから、単身で住むには広すぎる。家賃も助かっていますね。今は仕事が忙しく休日はゆったり過ごしています。忙しいと言っても東京の比にならないくらいで、きちんと寝る時間が取れることが何よりありがたいですね。自然を感じながらオンオフを切り替えています。今はインターネットが充実しているので都会も田舎も変わらず情報が手に入り、効率良く仕事ができています。
吉賀町は交通の便が良いので日本海側から瀬戸内海側まであちこちに行けるんです。休日はきれいな景色を撮り、温泉に入ったりと自分の時間を楽しんでいますね。

 

今後の展望

現在の仕事は町の為になっている、というところにやりがいを感じています。吉賀町に帰りたい人が一旦学園に入り資格を取り町内の福祉施設で働き始めるケースが多いんです。町内の福祉施設も人材が足りていないですし、町に役だっている実感がありますね。
今後はもっと魅力的な学校づくりを目指して取り組んで行きたいですね。中山間地にこういった専門学校があるのはもう珍しくなっているんですよ。みんな撤退する中で、地域づくりと密着した介護の在り方を学べる学校にしていきたい。中山間地は高齢化の最先端。その最先端だからこそ、地域密着の現場が学べる学校として全国から学生が来るような学校にしていくことが今後の夢です。

六日市学園

(六日市学園)

 

アドバイス・一言メッセージ

一緒に日本一の学校を作りましょう!中山間地だからこそ介護の分野でチャレンジできることがあります。少人数だし、生徒から提案してもらったことを取り入れる柔軟さがここにはあります。新しい介護の場を皆で作り上げていきたい、そんな方との出会いを楽しみにしています。